非常に頑張って生きていた。
もう一度付き合うことは考えていないと伝えた上で、本人の強い要望で会うことにした。
彼女が強迫という強敵のいる環境の中必死に必死に必死に生きて、運転が怖いと電話もらうことも何度もあったが「絶対強迫を克服してやる」という気持ちを、波は大きいものの、昨日も電話で話していた。周りの人間たちが強迫に対する理解があまりに足りず不安と負担で泣く事も、心配のあまりめまいがすることも多かったようだ。
別れたことは彼女にとっていい方向に向かっているような気がした。
一緒にいるときは、日々、怒りがあった。イライラがあった。そういうブラックな気持ちは、本人を心身ともに何倍ものスピードで最悪な状況にもっていっただろうことは間違いない。

それでも人生に「無駄」はゼロ、全部「必要があって起こっている」ことが感じられるように最近なってきた。

この激動の一、二年はすごく意味があったとなお強く感じるし、選択肢が迫ってきたとき、目を閉じて心の声に耳を澄ませば直感的に進む方向があっさりと示されていることがわかってきた。
選択肢の答えが感じられないときはまだ答えを出すべきでないってことなのかと感じた。・・当たり前のことだなあ、迷っているようなことでも実は答えなんか出ていることが殆どだったのだ。

一般的には会わないほうが良かったのだろうが・・きっと今後もたまに会うことになるだろう

そして
個人事業を今後、がむしゃらに取り組む私、面白がってなんでもできたらいいなと思う。それが一番結果が付いてきそうだ。高杉晋作は辞世に「おもしろき事もなき世をおもしろく」を詠んだとのこと。やっぱりそういうことだ。
儲けることなんかどうでもいい。楽しく、いろいろ面白がりながら試してワクワク生活せん事を誓う。


死ぬときにすっきりと死ねることだろう。

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